オーディオシステムで音楽を演奏(再生)することは、演奏会(ライブ)におとらない重要な芸術分野です。レコード演奏家は、レコードに記録された音楽に生命をあたえる能動的な表現者です。

菅野沖彦著『新レコード演奏家論』(ステレオサウンド)でのべられている「レコード演奏家」とは、オーディオシステムでレコードを演奏する人のことです。「鑑賞者」がなぜ「演奏家」なのか? その答えが本書でしめされます。

なお本書では、アナログ・デジタルの別をとわず CD や SACD などもふくみ、音楽のパッケージメディアをすべてレコードとよんでいます。

まず、つぎの簡単な例からみていきましょう。著者の菅野沖彦さんはつぎのようにのべています。


例えば、忠臣蔵は舞台が本物で、映画はその記録、追体験、疑似体験、あるいは代替物と考えるようなことは今ではありえない滑稽なことだ。


すなわち舞台(演劇)も映画もどちらもすぐれた芸術分野であるわけです。

これとおなじで、演奏会(ライブ)が本物で、オーディオシステムで再生された音楽は代替物ということはありえません。演奏会も、オーディオで再生された音楽もどちらもすぐれた芸術分野なのです。演奏会(ライブ)は舞台に相当し、オーディオで再生された音楽に映画に相当することに注目してください。オーディオで再生された音楽はレコード芸術あるいはオーディオ芸術といってもいいかもしれません。

  • 舞台:演奏会(ライブ)
  • 映画:レコード芸術(オーディオ芸術)


現代は、スピーカーからかなでられる音楽のほうが、はるかに多くの時間と聴衆をもつ時代です。演奏会(ライブ)が本物で、それ以外は音楽的におとるものだとは決していえない状況もあるのです。
 
ピアニストのグレン=グールドが「コンサート・ドロップ・アウト」を宣言した例もあるように、現在では、録音のほうが理想的な音楽創造を可能にするとして録音にとりくむ演奏家も増えています。コンサートホールの客席では聴けない微細な音が、レコードでは精緻に聴けることもめずらしくありません。

そして演奏会が舞台芸術であるのに対して、レコード芸術が映画に対応するとかんがえると、レコード制作における編集はわるいことでは決してありません。編集機能によって納得のいく作品に仕上げる可能性は音楽的にポジティブなことです。


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芸術には画一的に誰にでも当てはまる共通のマニュアルのようなものはない。各人各様の音楽観により、自室の音響環境と機器の整合性を整え、素晴らしい演奏を可能にするシステムアップとバランス調整の努力がなければならない。これに喜びを感じる人々のことを、私は「レコード演奏家」と呼びたいのである。


こうして「レコード演奏家」は、レコードに記録された信号を忠実に再現し、自分の納得する音と音楽をもとめて音楽を演奏するのです。生命感あふれる音楽が感動できたとき、その行為は本質的には「演奏行為」であると菅野沖彦さんはのべています。

そもそも趣味というものはアクティブで主体的な自己表現のたのしみです。「レコード演奏家」は、レコードに記録された音楽に生命をあたえる能動的な表現者なのです。

必要なことは音楽への愛と敬意であり、作曲科の意図をふかく洞察することです。

そしてシステムアップとチューニングにたえずおこない、自分の内なる音の世界を高める努力をしていきます。その先には、ふかく大きな音楽の世界がひろがっています。




このように「レコード演奏家」がレコードを演奏するということは、レコード(記録された信号)に命をふきこむことであり、これは演奏家が、楽譜(音符)に命をふきこんで音楽を再生するのと同様に意義のあることです。

ここでもとめられるのは、オーディオ技術や演奏技術はそのための手段としては必要ですが、あくまでも美しさです。同時に、作曲科からのメッセージをよみとり、それを表現することです。それが芸術だとおもいます。

本書は、オーディオが、単なる趣味のレベルから芸術分野に発展していくことを実感させる基礎的な解説書になっています。従来の常識から脱却して一歩をふみだし、みずから主体的にオーディオにとりくんでいくための参考書としてとても役立ちます。一読をおすすめします。そしてあなたも是非、世界の名演を「演奏」してください。


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