演奏家と楽器とコンサートホールのすべてが重要です。音源と機器とリスニングルームのすべてが重要です。ベストバランスをさがします。
「ストラディヴァリウス300年目のキセキ」展(森アーツセンターギャラリー、注1)にいってきました。

世界最高峰のバイオリンの代名詞「ストラディヴァリウス」の弦楽器がかつてない規模であつまり、生演奏やトークなどもたのしみながら、ストラディヴァリウスをみて、きいて、理解できる貴重なイベントでした。

出展された楽器は、バイオリン18挺、ビオラ・チェロ・ギターが各1挺、計21挺、総額210億円(推定)にのぼります。たとえばビオラが約35億円、チェロが約30億円、バイオリンでもっとも高価なものはうつくしい装飾のある通称「ロード」約20億円という驚異的なものばかりです。

これらはすべて、イタリアの楽器製作者アントニオ=ストラディヴァリ(1644〜1737)が製作したものであり、現存する「ストラディヴァリウス」は全世界で500~600挺とされ、これだけの数が一堂に会するのはアジアでははじめてです。




■ ストラディヴァリウスがうまれる


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ヴァイオリンの元となった楽器


ヴァイオリンをうみだす元になったとおもわれる弦楽器がいくつかあります。

  • ヴァイオレッタ:15世紀の典型的な弦楽器でした。
  • ヴィオローネは:戦争によってスペインからイタリアにもたらされました。
  • ヴィオラ・ダ・ガンバ:ヴィオローネの進化版です。
  • レベック:中東に起源をもちます。
  • リラ・ダ・ブラッチョ:レベックから派生しました。

15世紀から16世紀にかけての北イタリアでは擦弦楽器の製造に試行錯誤がかさねられ、1530年ごろには、うつくしい音色に欠かせない「アーチ」や「魂柱」(楽器の表板と裏板を直接つなげる唯一の棒)などが考案されました。



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世界最古のヴァイオリンのひとつ
(アンドレア=アマティ、1566年製)


およそ470年前、わたしたちが今日しるヴァイオリンの様式を確立したのがアンドレア=アマティでした。現存するアマティの作品は非常にすくなく、イタリア・メディチ家のカテリーナ王妃の息子であるフランス王シャルル9世のためにつくられた一群の楽器や、富裕層のパトロンや王族からの注文をうけてつくられた作品がのこっています。これらの楽器のラベルにみられる1564年から1574年という年号から、アマティは、それより以前から製作をしていたとかんがえられ、もっともふるい作品は1546年につくられたとされています。

アマティのヴァイオリンにより、イタリア北部の小都市・クレモナは、ヴァイオリン製作発祥の地としての名声をきずきました。そしてアマティのすぐれた伝統技術、革新的なこころみ、美への信念といった楽器づくりの精神は、ストラディヴァリらに継承されてさらに発展し、ヴァイオリンが完成しました。

なおクレモナがヴァイオリンの聖地となった背景にはつぎのようなことがありました。

  • ヴァイオリンの命ともいえる良質な木材が山岳地帯をへてポー川からはこばれてくるので素材の入手が容易でした。
  • 地理的な優位性をもち、物流の拠点になったクレモナは経済的に発展し、木工職人や画家・彫刻家・建築家らがあつまり、芸術的な土壌が醸成されていました。
  • 宗教家や教会の庇護のもとで音楽が普及し、それにともなって楽器の製造技術も発展しました。
  • 初期オペラで音楽界を牽引したモンテヴェルディ、初期女流画家のひとりアングイッソラを筆頭に、すぐれた芸術家を輩出する芸術の町へクレモナはなりました。
  • フランス王妃としてメディチ家からとついだカテリーナ=デ=メディチは芸術愛好家であり、クレモナの楽器製作者や音楽家たちをフランスにまねきいれました。

こうしたなかで、アマティそしてストラディヴァリらがうまれてきたのです。



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ストラディヴァリウスの展示室



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ストラディヴァリウス・ヴァイオリン、1696年製
(徳永二男氏提供)
ストラディヴァリウス(1696年製)は、師匠であるアマティのおしえを踏襲しながら独自の製作スタイルを追求しはじめた「ロングパターン期」の特徴がみられる作品です。それまでの作品とは一線を画す独特なニスの色合いやフォルムから「黄金期」の到来を予感させます。

ストラディヴァリウスの作者アントニオ=ストラディヴァリは1644年にクレモナでうまれました。93歳までの生涯は4つの製作期に大きく区分できます。

  • 第1期「初期の時代」(アマティ期)1666〜1689年:師匠のニコロ=アマティからおしえをこいながら製作していた時期です。
  • 第2期「挑戦の時代」(ロングパターン期)1690〜1699年:自身のスタイルを模索しはじめる時期です。
  • 第3期「黄金時代」1700〜1725年:弦楽器製作者として成熟をむかえる時期です。うつくしい作品の数々をうみだしました。
  • 第4期「後期の時代」1726〜1737年:身体のおとろえを感じながらも精力的に製作にとりくんだ時期。2人の息子、フランチェスコとオモボノの手がはいった作品も存在します。



■ ミニライブ


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ミニライブ会場

会場では、ミニライブもおこなわれ、わたしは、Dan Zhu さんと三浦文彰さんのヴァイオリン演奏をききました。はなやかで艶のある音色、芯のあるくっきりとした音質がとても印象にのこりました。

しかし残念ながら、ほかの種類のヴァイオリンとの比較演奏はなく、比較試聴ができなかったので、ストラディヴァリウスの特色をききわけるところまでにはいたりませんでした。もし可能だったなら、おなじ演奏家がおなじ曲を、ストラディヴァリウスとともにほかの製作者の楽器でも演奏するという実験があったらよかったとおもいます。音色・音質は比較してこそわかるものです。

お二方ともすばらしい完璧な演奏で、ハイトーンのピアニッシモなどが静寂のなかで会場の隅々までしみいり、誰もが感動していました。ただしこれも、演奏家がすばらしいのか、楽器がすばらしいのか、その両方なのか、おそらくその両方だとおもいますが、今回は、ストラディヴァリウスの音をたしかめる実験的なこころみはなかったので断定的なことはいえません。

しかしそんなことよりも短時間ではありましたが音楽をたのしめたのがよかったです。音楽はきくものであり、楽器をみるものではありません。単なる展示会でなかったのが何よりです。

また Krishnasol Jimenez さんのギター演奏もききました。演奏されたのはバロックギターであり、今日のモダンギターよりもひとまわりちいさく、音質も、モダンギターのよく響く大きな音ではなく、ひかえめで素朴な繊細な音であり、楽器の存在をわすれさせるような人間味あふれる音楽がたのしめました。

なおストラディヴァリウスは誕生したときに完成形をなしていましたが、19世紀になると、大きなコンサートホールでたくさんの聴衆の前で演奏する必要にせまられ、あらたな時代のながれに対応するためにいくつかの改良がなされました。

  • 指板を、胴の中央までながくしました。これは、とくにE線の高音をもっと高音まで弾けるようにするためでした。
  • 音量と輝かしさを増すために駒をたかくし、同時に、指板の位置もたかくして、弦の張力を増すようにしました。

こうして演奏家たちは、たくさんの人々を一度にあつめて大きな空間で音楽をきかせるニーズにこたえていきました。このような改良をふるい名器にくわえた楽器や、それを真似てあたしくつくった楽器を「モダンヴァイオリン」、そうした改良をくわえない、ふるい形のままのものを「バロックヴァイオリン」などと一般によびます。現在では、ストラディヴァリウスのほとんどすべてがモダンバイオリンに改良されてつかわれています。



■ ストラディヴァリウスの音の秘密

ストラディヴァリウスは至高の響きといわれます。それはどうして? これまでに幾人もが仮説をたて、数多くの検証をしてきました。

  • ヴァイオリンのボディ内部の響きに秘密があるのではないだろうか。
  • ヴァイオリンをつくる木の経年変化が独特の音をうみだしているのではないだろうか。
  • 通称f字孔とよばれるヴァイオリンの表面にあるサウンドホールに秘密があるのではないだろか。
  • 特別な音をうみだすニスがつかわれているからではないだろうか。


ボディ内部の響き
ヴァイオリンのボディ内部の響きはとても重要です。ヴァイオリンの弦を弓でこすると弦の振動が駒をとおって表板や裏板につたわり、ボディのなかの空洞で音の共鳴が発生し、バイオリン独特のゆたかではなやかな音がうまれます。ストラディヴァリウスは音の干渉や歪みを発生させない形状・大きさのボディになっていて、無駄なくうつくしく音が増幅され、ゆたかな響きをうみだします。

この響きのしくみを物理的にしらべるために、ボディ内部に小型マイクを仕込んで音波を計測する実験がおこなわれました。無響室内でのピチカート演奏の音を、ヴァイオリン内部と外部で同時に収録して解析してみたところ、内部における音の共鳴現象に物理的な特徴がみられました。詳細な考察はこれからですが、ボディの独特な形状がみごとな音の共鳴現象をうみだしているのであり、ストラディヴァリウスの形は完璧なもので、完成された唯一無二なものになっています。一般的に、今日のモダンヴァイオリンはストラディヴァリウスをコピーしてつくっているのであり、この形状にするとどうして音がよくなるのか、その理由はよくわからなくても、この形状にしておけばまちがいはありません。近年では、スキャナーやコンピューターを駆使して形状をデータ化し、それに職人技をくわえて、ストラディヴァリウスをこえるヴァイオリンづくりに挑戦する人々もあらわれてきています。

木の経年変化
ヴァイオリンは一般的に、表板はスプルース(マツ)、裏板・側板・ネックはメイプル(カエデ)でつくられます。バイオリンはつくったばかりのときはいい音がしませんが、弾きこめば弾きこむほどよく鳴るようになります。振動に木がなじみ、ノイスがなくなり響きがゆたかになります。これは木の経年変化のためであるといってもよいでしょう。およそ300年前につくられたストラディヴァリウスは適切な経年変化をへているので音がよいとかんがえられます。

f字孔
ヴァイオリンの表面にあるサウンドホールは通称「f字孔」とよばれ、ヴァイオリンの音を大きな音でとおくまでとどかせるために必要であることがわかっています。孔の形状は、試行錯誤をかさねてf字形になったといわれていますが、どうしてこの形がよいのでしょうか? ある人は、クレメンタイン(みかん)の皮をつかってかんがえました。球体であるみかんの皮をひろげてみるとf字孔とよくにた形状になります。「完全な形状である球体の表面を効率よく広げ、平面に並べた形である」のでよく響くのではないかという仮説をとなえました。

塗装
塗装につかわれたニスに特別な音をだす秘密があるのではないかという仮説がありました。しかし2009年、フランスとドイツの専門家チームがニスを分析した結果、18世紀に一般的だった油と松ヤニの2種が使用されていただけだったことがわかり、ニスの素材はきわめて普通のものにすぎませんでした。ただしストラディヴァリウスにかぎらずモダン楽器でも、タイトでキレのいい、しまりのある音をだすためにはニスをより濃くぬったほうがよいことがしられています。塗装のしかたも音質を左右する要素です。




ヴァイオリンの音の秘密をさぐる研究は、オーディオのスピーカーの仕組みをかんがえるうえでも参考になります。

スピーカーは、エンクロージャー(筐体、箱)に、スピーカーユニット(音そのものを発生する装置)をとりつけることによってなりたっています。スピーカーユニットは前面に音をだすと同時に、後面にも音をだします。したがってエンクロージャーの内部でも音が響くのであり、これをコントロールすることがよい音をだすためのひとつの課題になります。音の干渉や歪みをうみださず、適切な共鳴がおこるように、エンクロージャーの形状・大きさなどが設計されなければなりません。実際には、おなじメーカーの製品であっても、この設計がうまくいったものといかなかったものがあり、あたりはずれがあります。比較的低価格な製品であっても設計が適切になされて、みごとな響きをうみだすスピーカーもあります。

エンクロージャーの材質も音質を左右します。プラスチック製、木製、金属製など。またスピーカーは、買ってきてすぐにはよい音がでません。まずは、徹底的にならさなければなりません。いわゆるエイジングが必要です。とくに木製のエンクロージャーでは重要です。ただし弦楽器の経年変化というような大げさなことではなく、ものによりますが10〜100時間とか、ながくても数百時間といった程度のことです。

スピーカーのエンクロージャー(筐体、箱)にはバスレフ型と密閉型があり、バスレフ型にはポート(ダクト、孔)があります。バスレフ型は、音の共鳴原理をつかってゆたかでのびのある低音を再生します。量感のあるリッチな音をだします。孔の形状・位置・大きさなどにさまざまな工夫がなされています。一方、密閉型のスピーカーはタイトでキレのいい、しまりのある音をだします。今日の一般的なスピーカーはバスレフ型です。

エンクロージャーの塗装も音質を左右することがしられています。しっかりと厚い塗装をした場合は、エンクロージャーのよけいな共振をおさえて歪みのないしまりのある透明感のある音がでます。しかし塗装をかるくして、エンクロージャーの木の響きをいかそうとする製品もあります。

このように弦楽器の構造とスピーカーの構造は似た点があり、弦楽器は参考になります。

しかしオーディオ機器はあくまでも電気機器であり、弦楽器とはちがう点に注意してください。たとえばスピーカーユニットは、ある年月をすぎれば(たとえば5年ぐらいすぎると)劣化がはじまります。またオーディオ技術は年々進歩しています。音源もかわってきています。オーディオ機器はアコースティックな楽器とはちがいますので、一定の年月がたったら買いかえを検討したほうがよいでしょう。このような意味で、「ヴィンテージ・オーディオ」にはわたしは反対の立場です。



■ ウィーンフィルのサウンド

わたしはかつて、ストラディヴァリウスをつかう竹澤恭子さんと千住真理子さんの演奏をサントリーホールできいたことがありました。竹澤恭子さんはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、千住真理子さんはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏していました。

ストラディヴァリウスは、はなやかで艶のある音色、芯のあるくっきりとした音質が特徴的ですが、それだけでなく、サントリーホールのような大規模なホールで演奏しても、ホールの隅々まで響きわたるような力強い音もだせます。大変編成のオーケストラをバックにしても、ストラディヴァリウスの音はまったくかき消されません。埋没しません。これは、ストラディヴァリウスに現代的な改良がくわえられていることもあるとはおもいますが、こういうこともあってストラディヴァリウスは超一流のソリストたちがこのんでつかう楽器になっているのでしょう。

ストラディヴァリウスがソリストの心をつかむというのはそれはそれでよいとおもいますが、ここでは、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の例も紹介しましょう。

ウィーンフィルのサウンドは、世界のほかのあらゆるオーケストラのそれとはちがい、ウィーンの伝統をまもった独特のサウンドであり、世界の音楽ファンを魅了しつづけています。つかわれている弦楽器はウィーン周辺で伝統的な手法でつくられたものであり、うるいおいのあるしなやかでどこまでもうつくしいサウンドをきかせてくれます。しかしそのなかにあって、コンサートマスターだけは、実は、ストラディヴァリウスをつかっているのです。コンサートマスターのストラディヴァリウスがウィーンフィルのサウンドに芯をあたえ、明瞭さをもたらし、力強さをくわえます。こうしてウィーンフィルは上質な雰囲気をかもしだすだけでなく、あらゆる音楽表現を可能にしています。

世界のほかの一般的なオーケストラでは、つかわれる楽器はそれぞれの奏者が選択しているのであり、楽器の種類まで楽団がコントロールすることはできません。しかしウィーンフィルはちがいます。楽団の方針にもとづいて奏法だけでなく楽器も適切に選択されています。




オーディオファンのなかにもウィーンフィルのようなサウンドを自宅でもだせたらとおもう人がいるとおもいます。一般的なオーディオ機器は、雰囲気重視型とくっきりはっきり型に大別され、両者の融合はむずかしいですが、うるいおいのあるあたたかい雰囲気がありながら、芯があって明瞭なサウンドはだせないでしょうか。ゆたかな響きに芯をあたえる。たとえば Focal や Vienna Acoustics のスピーカーにはそのようなものがあるとおもいます。AIRBOW 波動ツイーターをつかうのもいいでしょう。あるいはモニター系スピーカーをつかってルームチューニングによってゆたかな響きをうみだすという方法もあります。プレーヤー・アンプ・ケーブルなどのくみあわせによっても効果があらわれます。



■ 楽器としてのホールとストラディヴァリウス

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トークセッション会場


10月13日には会場で、音響設計家の豊田泰久さんとヴァイオリンキュレーターの中澤創太さんのトークセッション「楽器としてのホールとストラディヴァリウス」もありました。

豊田泰久さんは、世界各地のコンサートホールの音響設計をおこない、その名を世界にとどろかせています。九州芸術工科大学音響設計学科で音響設計技術をまなび、1977年に永田音響設計に入社、現在は、同社ロサンゼルス事務所とパリ事務所の代表をつとめられています。

豊田さんが手がけた代表的なホールは、サントリーホール、岡山シンフォニーホール、京都コンサートホール、札幌コンサートホール、スタンフォード大学・ビングコンサートホール、ミズーリ州カンザスシティ・ヘルツバーグホール、ウォルト・ディズニー・コンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリ、エルプフィルハーモニー・ハンブルク、クレモナ・バイオリン博物館チャンバーホール、そのた多数です。

その豊田さんからつぎのといかけがありました。


ここにチケットが2枚あります。どちらか1枚を選択しなければなりません。

  • 1枚は、アマチュア・オーケストラの演奏会のもので、会場はサントリーホールのような一流のホールです。
  • もう1枚は、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏で、会場は体育館のような劣悪なところです。

あなたはどちらを選択しますか?


豊田さんは、ウィーンフィルをまよわずえらぶそうです。つまりはじめに演奏家ありきであり、すぐれた演奏があってこそすぐれたホールはその存在価値をもちます。よいホールをたくさんつくればいいということでなくて、優秀な演奏家・音楽家をそだてることがまず重要です。

このような前提のもとでホールについてかんがえていきたいとおもいます。

豊田さんが音響設計を担当したウォルト・ディズニー・コンサートホールでの出来事です。2003年、オープニングの何ヵ月かまえから、ロサンジェルス・フィルハーモニックがリハーサルをはじめました。すると最初のリハーサル終了後、楽団員たちがつぎのような感想をのべました。


このホールはだめだ。ガーっと、音が混濁して響いてしまって、ステージの上で何もきこえない。演奏していて、いったい何をきいているのかわからない。昔のホールのほうがよかった。


そこで豊田さんはつぎの提案をしました。


もっとソフトに演奏してください。ほかの奏者の音をよくきくようにしてください。


リハーサルが断続的につづきます。そして3ヵ月がすぎました。楽団員たちがまたやってきました。


以前より全然いい。音がよくきこえる。音がよくなった。(ホールの)何を変えたの?


何も変えていません。ホールには手を一切くわえていません。すなわち変わったのは演奏家のほうでした。昔の響かないホールのときは、とくにフォルテシモのときなど、力をいれてガーと弾かなければなりませんでした。ピアニッシモもやや大きめに音をださざるをえませんでした。みんな力んでいました。しかしあたらしいホールは響きがいいのでその必要はなく、肩の力をぬいてやさしく演奏するようにします。ピアニッシモでもホールの最後列まで音がとどきます。演奏家は音楽そのものに集中できます。こうして、何回ものリハーサルをへて、演奏家たちは演奏のしかたを変え、響きのいいホールに慣れたのでした。

展覧会会場(来場者)からの質問もありました。


質問:音響設計を担当されたサントリーホール(1986年開館)の音が、近年、開館当時よりも格段によくなったと誰もがいいますが、どうしてでしょうか?

回答(豊田):ホールについては開館当時と何ら変わりません。改良など何もやっていません。サントリーホールは東京のオーケストラには開館当時は不評でした。ところが3〜4年たったら「音がよくなってきた」といわれるようになりました。


東京のオーケストラもそれまでは響きのわるいホールで演奏していました。東京でもっともすぐれたホールは東京文化会館でしたが、このホールは天井が非常にたかく、今日のコンサートホールとは設計思想がことなり、タイプがまったくちがいます。東京文化会館では、巨大な空間をまえにして力をこめて演奏しなければなりませんでした。あるいはほかのホールでも、力一杯みんな頑張っていました。

ところがサントリーホールにきてみたら勝手がちがいます。ここは別世界です。いいホールができたはずなのに演奏家はみな四苦八苦してしまいました。

そして3〜4年がたちました。そのころから演奏家の誰もがホールの響きに慣れてきました。ホールの響きをいかしながら演奏するようになりました。声楽家は声をはりあげるのではなく、響かせるようになりました。「音がよくなった。音響が改善された」と多くの人々がおもいましたが、実は、ホール自体は何も変わっていません。しいていえば、舞台の床の木の経年変化があったかもしれませんがそれは些細なことです。変わったのは演奏家のほうだったのです。

ホールの響きは、形状・大きさ・材質によってきまります。近年一般的になった、舞台を客席がとりかこむヴィンヤード型ホールはとくに設計がむずかしいです。しかしよくできたホールでは、演奏家とホールのあいだに対話がうまれ、音楽と聴衆が一体になれます。演奏とともにホールもよくできていなければなりません。こうして、サントリーホールで数々の感動体験がうまれるようになりました。




このような観点からは、NHK交響楽団の本拠地・NHKホールはいただけません。たとえばN響にくらべて、海外の一流オーケストラは音がいいことがよくしられています。音の透明感がまずちがいます。内声がきこえます。フォルテシモでも音が濁りません。音色もうつくしい。サントリーホールで、ウィーンフィルやニューヨークフィル、ボストンシンフォニー、チェコフィル、アカデミー室内管弦楽団、オルフェウス室内管弦楽団などをわたしはきいてきて、うつくしさ、はなやかさ、かろやさ、響きのよさに魅了されました。何よりも技巧をこえて音楽そのものがたのしめました。

そして十数年まえから、サントリーホールで日本フィル(小林研一郎指揮)をしばしばきくようになったら、日本フィルのほうがN響よりも音がいいんです。音の透明感があきらかにちがいます。当初は、指揮者が一流だからだろうとおもっていましたがそういうことよりも、交響楽団がホールに完全に適応した結果でした。ホールをつかいこなしています。ホールも楽器の一部になっています。

NHKホールは表向きは多目的ホールということになっていますが、実際には放送番組収録用のホールであり、放送番組収録では、マイクや拡声器をつかって大きな声や音をだすので、ホールの響きは徹底的におさえられています。ホールの響きがあると何を言っているのかわからなくなるので放送番組では響きは邪魔になります。エコーが必要なときは電子エコー(機械をつかった人工的なエコー)をつかいます。

このようなコンサートホールではないホールで、劣悪な環境でN響は本当に頑張っています。全員が力一杯演奏しています。NHKホールの巨大空間の後方の客席まで音をとどけようと大音量で演奏します。N響は、もっとも大きな音をだせる交響楽団です。しかしその結果、音がにごります。音がきたなくなります。音の透明感なんて、あったの? N響も現在は、サントリーホールでもときどき演奏しています。しかしどうも、NHKホールでの癖がぬけきりません。NHKホール式の演奏法が随所にでてしまいます。ホールも楽器の一部になってしまっています。技巧的には日本一なのに。もっとかろやかに、もっとやさしく! あんまり頑張らないで!

今回のトークセッションのテーマは「楽器としてのホールとストラディヴァリウス」でした。ホールは大きなな「楽器」であることがわかりました。「楽器」は、形状・大きさ・材質が重要です。ストラディヴァリウスもおなじです。ストラディヴァリウスは最高の響きをうみだします。あとは演奏家とホールがそろえば響きの相乗効果がうまれ、そのなかに聴衆もとけこんで、すべてが一体になります。それは音楽の共鳴場といってよいでしょう。




以上のことから、オーディオにおける音楽再生でもリスニングルームが大事なことがわかります。オーディオ機器と同等にリスニングルームが重要です。ルームチューニングをしなければなりません。いい機器をそろえるだけでなく、音響空間にももっと心をくばったほうがよいでしょう。



■ 音響空間シミュレーション

ストラディヴァリウスとホールがうみだす音響空間を最新の音響シミュレーション技術をつかって再現したブースがありました。

各時代を代表する以下の4つの仮想空間で当時の演奏を再現しており、それぞれの空間の動画(イメージ)をみながら、ヴァイオリンの演奏をヘッドホンできくことができました。

音響の再現は、ストラディヴァリウス(「サン・ロレンツォ」1718年製)の演奏を無音質にて録音した音源に、それぞれの仮想空間の計算された反響をかけあわせ、それぞれの演奏空間にあわせて音響を調整しておこなったそうです。


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ストラディヴァリウス
「サン・ロレンツォ」1718年製
ストラディヴァリウスにはニックネームがそれぞれにつけられており、これは「サン・ロレンツォ」といいます。フランス王妃、マリー=アントワネットの専属ヴァイオリニストであったジョヴァンニ=バッティスタ=ヴィオッティが所有していました。


(1)アントニオ=ストラディヴァリの工房(イタリア・クレモナ、竣工年:1600年代後半)
ストラディヴァリが、1680年6月〜1737年12月のあいだにすんでいた自宅兼工房のなかでの演奏を再現しました。ストラディヴァリはこの工房で弦楽器をつくり、また実際に弾いて音を確認しました。

(2)ヴェルサイユ宮殿のプチトリアノン内サロン(フランス、竣工年:1768年)
ここは、フランス王妃・マリー=アントワネットが、ダンスや音楽・ゲームを貴族たちとたのしんだ部屋とされます。当時は、音楽が大衆化する前であり、大きなコンサートホールは存在しませんでした。当時つかわれたバロックヴァイオリンは、モダンヴァイオリンほど大きく響きませんが当時のサロンにおいてはそれで十分でした。

(3)旧ゲヴァントハウス(ドイツ・ライプツィヒ、集客人数:約500人、竣工年:1781年)
「ゲヴァントハウス」とはドイツ語で「織物会館」という意味であり、織物の倉庫や取引所としてつかわれていた木造建築物の2・3階につくられたホールでした。音響のよさでその名をとどろかせ、「今日のコンサートホール設計にいたる歴史のの最初のホール」といわれました。

(4)サントリーホール(東京、収容人数:2006人、開館年:1986年)
日本初の「ヴィンヤード型」(ぶどう畑をもした形状)のホールです。舞台を客席がとりかこみ、演奏者と聴衆が一体となって音楽をたのしめます。実際に演奏したヘルベルト=フォン=カラヤンは「まるで音の宝石箱のようだ」と感想をのべました。


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(1)ストラディヴァリウスの工房のイメージ


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(2)ヴェルサイユ宮殿のサロンのイメージ


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(3)旧ゲヴァントハウスのイメージ


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(4)サントリーホールのイメージ


空間内では、楽器からでた直接音と壁や天井などに反射した反射音とがまざってきこえます。直接音と反射音、反射音と反射音が干渉したり歪みやノイズをうみだすことなくうまく共鳴すれば音響はここちよく感じられます。残響をながくすればよいということではなく、うつくしい共鳴をうみだすベストポイントをみつけることが大事であり、そのために、ホールの形状・大きさ・材質が選択されます。

上記の(1)から(4)へいくほど空間は大きくなるので楽器からでた音が壁や天井に反射するまでの時間が長くなります。(1)から(4)までを比較するとこの長さのちがいがはっきりききとれ、空間の大きさが音響から想像できます。

(3)旧ゲヴァントハウスと(4)サントリーホールはとくに響きがよく、音響空間に没入するといった感じがしました。音楽は、楽器がだす直接音だけでなく、響きも同等に重要であることがあらためてわかりました。

またホールの大きさや響きにあわせて楽曲や奏法も適切に選択されるべきす。たとえば室内管弦楽や古楽は(3)旧ゲヴァントハウスのようなホールで演奏すべきですし、今日の一般的なオーケストラは(4)サントリーホールが最適です。

そもそも作曲家は、どのようなホールで演奏されるかも想定しながら作曲しているのであり、西洋音楽史的にみれば、ホールが大きくなるにつれて管弦楽の編成も大きくなっていったことはあきらかです。

このような観点から、(3)旧ゲヴァントハウスのようなホールで比較的小編成の管弦楽団が演奏するために作曲した曲を、現代の大編成のオーケストラが(4)サントリーホールで演奏した場合、作曲家の意図した音楽がただしく再現できないと主張する人々がいるのはもっともなことで、ちかごろは、作曲された当時の楽器や編成でやや小さめのホールで演奏する音楽家たちがあらわれてきて脚光をあびています。たとえば東京オペラシティコンサートホールにおける鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパンなどは注目に値します。

このように、よくできた音響空間をうみだすためにはホールは決定的に重要ですので、日本各地・世界各地のホールをあらためてみなおしてみれば音楽がさらによく体験できるようになるとおもいます。音楽は時間芸術といわれますが、実は、空間芸術でもあったのです。




以上の実験から、音楽の録音においても録音現場がきわめて重要なことがわかります。スタジオ録音かホール録音か。ホールでも、小さいホール、大きいホール、音響のいいホールなどさまざまです。

たとえばワーグナー作曲『ニーベルングの指環』をスタジオ録音したある音源があります。耳のこえた音楽ファンであれば、比較的せまい空間で録音されたことが反響からわかります。するとワーグナーの壮大なスケールがうまく再現されません。このような場合は原音忠実再生をするのではなく、真空管アンプをつかったり、ルームチューニングをしたりして響きをおぎなって再生するのがよいでしょう。

あるいは交響曲などで、非常にたくさんのマイクをつかって録音し編集した音源があります。音像も音響空間もめちゃくちゃです。このような場合は、雰囲気重視のスピーカーをつかったり、リスニングルームに音調版を適切に設置したりして、リスニングルームをあらためて音響空間にしたてあげれば音楽そのものをたのしめます。楽器の演奏法を研究する場合は別ですが、音楽そのものをたのしむのであれば分析的な方向にいかないほうがよいです。

このような観点からは、高性能録音機器をつかって音響のいいホールでワンポイント録音された音源は注目に値します。適切なオーディオ機器をつかえばよけいなことをあまりしなくてもみごとな音響空間が再現されます。たとえばウィーン楽友協会で収録されたウィーンフィルハーモニーの近年のライブ録音などはすばらしいです。

オーディオにおける音楽再生は、あたえられた音源をただ忠実に再生すればよいというものではなく、作曲家の意図あるいはメッセージを表現できるようにしたほうがよいでしょう。そのためには、オーディオ機器を選択し、くみあわせ、調整するとともに、ルームチューニングもおこなって、リスニングルームを音響空間にしたほうがよいです。オーディオファンも積極的に音楽を「演奏」すべきです。

CD・ダウンロード・ストリーミングをとわず名演であっても録音があまりよくない音源が多々あります。これらをいかにうまくならすか、本当のオーディオファンの腕のみせどころがここにあります。ライブによくいく人は録音にはそもそも限界があることをしっています。音響のすべてが収録できているわけではありません。もれおちたたりない部分は自分でおぎなって再生しなければなりません。しかしここに、オーディオのおもしろさがあるのであり、オーディオ再生は場合によってはライブをこえることができるのです。

こうして音響空間がうまれ、音楽につつみこまれると、音楽を単に耳できくのではない、もっと高次元の音楽体験ができるようになるでしょう。




今回の展覧会には、演奏家から楽器・音響空間までのすべてが圧縮されてしめされており、音楽の歴史、音楽の表現法、感動をもたらす仕組みなどがよくわかりました。あらたな観点からあらためて音楽にアプローチすることができました。音楽を理解するだけでなく、音楽を再現し表現するためにも参考になることがあふれていました。

ストラディヴァリウスの世界はまさに一流の世界でした。会場では、ヴァイオリンを背負った子供たちの姿もちらほらみかけました。美術でもそうであるように、小さいときからあるいは大人になってからも、一流のものに接することがとても大事です。



【まとめ】
  • ヴァイオリンは、アマティが様式を確立し、ストラディヴァリらが完成させました。
  • ミニライブでは、ストラディヴァリウスの至高の響きをたのしめました。
  • ストラディヴァリウスの音がいいのは、ボディ内部の響き・木の経年変化・f字孔・塗装などに秘密があるとされます。これらは、オーディオのスピーカーを考察するうえでも参考になります。
  • ホールは巨大な「楽器」であり、ストラディヴァリウスと同等に重要です。オーディオによる音楽再生でも、リスニングルームがオーディオ機器と同等に大事です。
  • 音楽は空間芸術でもありました。空間表現がしだいに発展してきた音楽の歴史もわかりました。


▼ 注1
ストラディヴァリウス300年目のキセキ展
森アーツセンターギャラリー
会期:2018年10月9日~15日